西南戦争之記録

これは高橋信武が書いています。

高鼻公園の台場跡  

先日の小富士山踏査のところで触れた竹田市荻町高鼻公園の台場跡略図を作成したので投稿します。西南戦争時のものです。下は南側から遠景写真を撮ったもの。地図の矢印の位置から。 左奥の崖の上に戦跡があります。 高鼻公園の突端から北東方向を写したもの…

三笠宮崇人親王の帯広視察写真

帯広で撮られた集合写真に三笠宮が写っているのを実家で見たことがある。高松宮の日記は出版されているが三笠宮の日記がなく、どういう状態で撮影されたものなのか分からないままだったが、「三笠宮崇人親王」が出版されたことを知った。大分県立図書館には…

臼杵市 三角台を守る会のTシャツ

今日、西南戦争時の官軍台場跡をいくつも確認済の臼杵市諏訪の山間部で活動している「三角台を守る会」の村上中造さんからTシャツをいただいた。 臼杵湾北側に臼杵市総合運動公園があり、その背後の低い山に歩道を造り、看板・遊具を設置し、身近な山歩きが…

勝海舟が見た米国サンフランシスコの要塞

コロナの前年、サンフランシスコに行った。1860年、咸臨丸でサンフランシスコに着いた勝海舟が港の入口にある要塞を見学したことがあると書いていたのを思い出し、現地で「地球の歩き方」を開いてそれがどこにあるのか検討し、Fort Point(要所要塞)とアル…

今借りている本

〇「茶の湯の表具千家十職・奥村吉兵衛の仕事」淡交社 まだ読んでいない。 〇楊暁捷「戯れる江戸の文字絵」マール社 まだ読んでいない。 〇江橋崇「百人一首」ものと人間の文化史 これは面白かった。が、若干分かりにくかった。 〇「海幸山幸」九州国立博物…

今日、借りてきた本

図書館に時々行くので今日借りてきた本を備忘録のように記す。 〇町田市立国際版画美術館「謎解き浮世絵叢書 小林清親 東京名所図」 どこを描いたのか昔の地図と現在の地図とを示しているので面白そうだが、まだ読んでいない。 〇実方葉子「木島櫻谷 画三昧…

豊後大野市緒方町小富士山踏査

2023.2.23、竹田と緒方町を歩いた。 先ず、竹田市西光寺背後の尾根を歩いてみた。「戦地取調書」に台場があったと描かれているので確認したかった。 図の三角がそれで、満徳寺の東の山に二ヶ所、西光寺の北東側に一ヶ所ある。 西光寺の本堂前には寺の前の河…

「安田 榮の西南戦闘日記」田中 茂氏編集・解説

これは昨年12月10日付で田中茂氏(宮崎市在住)が出版された別働第二旅団伍長の従軍日記です。解説を合わせて全43頁。安田は浜田藩士であったが結婚後福島県士族となり、西南戦争勃発にあたり従軍し、各地を転戦して無事凱旋した記録です。 現在、若干部…

表示を替えました。

前の漫画風なのも気に入っていたけど、字が読みにくい面もあったので変更しました。

「西南戦地取調書 豐後」の内、竹田市

小川又次日記の舞台が竹田になったので、標記の史料の内、竹田市部分を掲げることにしました。これは以前に入手したもので、西南戦争後に参謀本部が関係各県に戦地の状況を取り調べて提出させたものです。ポツダム宣言受諾直後、軍関係史料が連日焼却され、…

「陣中日誌稿(明治十年 戰争日記)」6月 ※5月に加筆中です。後日月別に細分予定。

六月一日晴天午後當隊宇田枝ヲ発同三時頃ヨリ牧口エ繰込ム此日熊本縣士八名当地ニ着当隊附属有志ノ列ニ加エ入ス 六月二日晴天午前本隊牧口引揚ケ久原村及髙寺村ノ間道ヨリ重岡街道賊背ニ出ントシ午前五時頃三重市ヲ攻撃ス到レハ賊ナシ野津市迠追進ス此日三重…

浅ケ部をブラタモリでやってました。

「陣中日誌稿(明治十年 戰争日記)」5月に浅ケ部が出てきます。

今年できた甲骨文字

右部分2個は左折・右折から出来た甲骨文字です。2023.2.1 ブログの更新が時々あって、どうしてかわからないが手間取っていました。さっき挑戦したら更新できたので何かを載せようと思い、新しい甲骨文字を公開します。「止」は足跡の形からできた漢字(本当…

「陣中日誌稿(明治十年 戰争日記)」5月

熊本平野の会戦で敗れた薩軍は熊本市南東の木山から浜町(矢部)を通って人吉盆地方面に向かう様子だった。官軍側では4月25日に木山の灰塚で以降の進軍部署を協議した。もし薩軍が人吉に立て籠もるならば、西側の八代から進撃し、都城に立て籠もるならば鹿児…

1877年2月小林清親の版画

西南戦争の際、2月15日には薩軍が鹿児島を出発開始しており、19日には征討の命令が出ている。両軍が初めて戦火を交えたのは1877(明治10)年2月21日でした。今回紹介するのはその間の2月20日に版行届が出された小林清親筆の三枚続き版画です。当時、西南戦争…

「陣中日誌稿(明治十年 戰争日記)」2月から4月 少しずつ加筆します。

本文がペンで書かれた「陣中日誌稿(明治十年 戰争日記)」を紹介したい。熊本の古本屋から購入したものである。序に記すと、この日誌は以前東京で売られていたと鈴木徳臣さんから聞いたことがある。 巻頭の附言によれば、本日記の筆者は熊本鎮台第十三聯隊…

今年も賀状は書かず、年初にも出しません。

皆さん、2023年もよい年をお迎えください。

明治十年の巡査の辞令・慰労金証書などの史料紹介。がPCのネット接続が不完全で・・・買い替え時かなあ・・・

netto これらは一条千代吉氏が四等巡査心得として警視局に採用され、西南戦争に従軍、終戦時に退職して慰労金を下賜された一連の辞令や証書です。 辞令は縦21.4cm・横28.0cmの和紙で、木版印刷した空白部分に一条千代吉・四・十・五・十七」を毛筆で記入して…

淵辺高照の水野武一郎宛書状

淵辺高照の書状を紹介したい。 まず彼が何者なのかについて、「西南記伝」下・2の本営護衛将士伝「淵邊群平傳」の記述を掲げる。 淵邊群平、名は高照、初め直右衛門と稱す。薩摩の人。天保十一年鹿兒 島高麗町に生る(※1840年)。世、島津氏に仕へ帽子、其藩…

宮﨑県埋蔵文化財センター講座「山河に刻まれた西南戦争の記憶」拝聴

宮崎県埋蔵文化財センターでは、この数年西南戦争戦跡の分布調査を継続しており、堀田孝博さんが代表として発表した。ささやき情報(マンチカン帝国・佐倉桜香両氏)で知り、 しつつ、風景を眺めつつ出かけた。途中、可愛岳尾根の北東部にある烏帽子岳展望所…

神風連関係史料の紹介

和紙(青色木版印刷罫紙。縦24.0cm・横33.0cmを上から下に半折し、右上部に穴をあけて紙縒りで綴じたもの4枚)に毛筆で書かれた上記の史料を紹介したい。本史料は冒頭文から熊本県庁の記録を写したものと分かる。写本を作成した人物名(末尾近くに康とあるの…

上門手(かもんで)遺跡吉田初三郎風想像復元図

20年近く前、16世紀末頃の山城跡を発掘調査し、周辺住民に対して現地説明会をしたことがあります(大分県千歳村;現在は豊後大野市)。ここに掲げるのはその際資料として添付した自作のアクリル画です。自画自賛ですが、なかなか捨てたもんじゃないので次の…

印鑑を作る

石川九楊さんだったか、人は退職したら印鑑を彫り始めることがあると書いていた。郷土史の勉強をしたリ、絵筆・筆をとるのもそうだろう。というわけで印鑑を構想し彫り始めました。面白いの?ができるところを載せます。 左端のが今朝のもの。他のは以前、作…

川路利良1877年3月9日付の大久保利通宛書状

はじめに この書状は10年以上前に入手していたものである。今回、大分県立先哲史料館の松尾大輝さんの御協力を得て解読できたので紹介する。 書かれた日付は西南戦争が始まって一か月も経たない頃のもの。紙の寸法は右端が縦17.4cm、左端が17.3cm、横45.…

「警視出張所印」のある資料

はじめに 数日前、ブログ村に登録した機会にぶろぐ名を「西南戦争之記録」に変更しました。これまでは横文字で、我がことながら分かりにくいなと思っていたのでこれで一安心。 本日9月24日は1877(明治10)年に西南戦争が終わった日です。何か投稿しようと思…

画面の表示方法を変更したら、引用文章が分断されてしまったが、少しずつ修正します。

竹田市片ケ瀬を歩く

先日、片ケ瀬の由布 晃さんという方(詩人)から西南戦争に関する珍しい墓地があると連絡を頂いたので、今日出かけた。詳細は由布さんがいつか紹介する予定だからこれ以上触れない。自家用車は電話番号で位置情報が表示されるので簡単に由布さん方に着くこと…

西南戦争後の野村忍助 

はじめに 「野村忍助自叙傳写本」やアジ歷史料などをもとに西南戦争後の野村の動向を跡付けてみたい(高橋信武2003「野村忍助自叙傳写本」pp.120~pp.145『西南戦争之記録』第2号)。以下、太字が上記自叙伝の引用部分、〇が記述概要である。野村は忍介ある…

辺見十郎太の書状  ※💭・💛などが付くようになりました、というか付けました。

熊本市に寄託している史料について当時植木町教育委員会職員だった(その後合併したので熊本市職員だった)中原幹彦さんから問合わせがあったので、引き続き寄託を継続することにした。「征西戰記稿」や辺見十郎太書状他である。この書状は熊本市田原坂西南…