西南戦争之記録

これは高橋信武が書いています。

1877年2月小林清親の版画

 西南戦争の際、2月15日には薩軍が鹿児島を出発開始しており、19日には征討の命令が出ている。両軍が初めて戦火を交えたのは1877(明治10)年2月21日でした。今回紹介するのはその間の2月20日に版行届が出された小林清親筆の三枚続き版画です。当時、西南戦争版画は千点以上描かれており、珍しくはないが有っているものを時々掲げます。

 新聞 鹿兒嶋水股風説と題し画中の詞書は次の通り。 

四海波に往返のけむりも高く万代を謡ふ御代に鹿兒けん下に士族の暴行なれど実地を水股其風せつも信用ならす殊に雷機の私報も止りさすかに士族のヱレキもくづれ是鎮静の近き記す
 明治十年二月

 この時点ではまだ戦闘が始まっていなかった。説明文は鹿児島県下で暴行が行われているが、鎮静は近いだろうとある。画工・板元は次の通りで、海上に浮かぶ船は太平丸です。

 19日に征討令が出ているので西南戦争の版画ということができるが、版行を届け出た20日よりも前の版画準備段階にはまだ征討令も出ていなかっただろう。戦争になるかは明らかでない段階だったので、このような漠然とした説明になったのでしょう。画中の人物に名前が添えられていないのも、架空の絵だからでしょう。