西南戦争之記録

これは高橋信武が書いています。

竹田市片ケ瀬を歩く

 先日、片ケ瀬の由布 晃さんという方(詩人)から西南戦争に関する珍しい墓地があると連絡を頂いたので、今日出かけた。詳細は由布さんがいつか紹介する予定だからこれ以上触れない。自家用車は電話番号で位置情報が表示されるので簡単に由布さん方に着くことができた。

 そこから軽トラに同乗し、林の中の草ぼうぼうの荒れ地を進み、止まったところからは由布さんが草刈り機で竹や草を刈って進行。そこまでは軽トラが道でないようなところの草を踏み倒し、道の外に滑り落ちそうな路線だった。

 墓地は片ケ瀬の秦今朝富さん(後でお会いしたが、鹿児島士族の位牌という板切れ5点を見せていただいた。残念ながら氏名は記載されてない。この付近で戦死したのだろうか。明治32年に供養した際のものらしい)という方が管理しているが、由布さんによるとこの付近の墓地の子孫はもうこの辺にはいないということだった。

上の写真。左下は尾根の狭さが分かる。右下は秦さん(左)の家の前の道路で(右は由布さん)。背後の山は小富士山(456m)、道路は緒方町に続く旧道。

 ここは岡城跡の南を流れる玉来川の南にあるが、北側斜面に植林された杉林のために岡城跡方向の見通しは悪い。墓地の東方も歩いて(地図の緑色)ほとんど端まで見たが戦跡は確認できなかった。台場跡や傷ついた墓石が転がっているかと思ったがなかった。尾根の南側の車道が半円形に取り巻く谷底を桜やアジサイで飾り付け、公園のようにしようとしているとのことだった。狭い尾根筋の南側は垂直の崖が続いていた。

 そのあと最初のふりだしに戻り、見晴らしのいい丘の縁辺に行って遠景写真を撮った(赤い矢印)。最近にわか雨があったので、空気が澄んで近景も遠景もきれいだった。空の下の方が汚れた薄茶色になっていても「きれいだ!」と言うのをテレビで見るが何を考えてるのだろうか。

遠景は九重連山、中景が岡城跡(建物が見える)、手前に玉来川が左から右に流れ、墓地はさらに手前の写真左の明るい杉林の付近にある。遠景の平らな地平線は阿蘇外輪山の続きで、九州が南北に分かれていた時代に九州海峡(即席地名)を埋めて丘陵になったもの。