熊本市に寄託している史料について当時植木町教育委員会職員だった(その後合併したので熊本市職員だった)中原幹彦さんから問合わせがあったので、引き続き寄託を継続することにした。「征西戰記稿」や辺見十郎太書状他である。この書状は熊本市田原坂西南戦争資料館に展示されたことがある。偶々見学した時に展示していた。貴重な書状を自分でもっていてもなくす心配もあるし、興味のある人に見ていただきたかったからである。
この書状は「西南戦争之記録」第5号で公開しているが、編集者(自分)の校正不行き届きで写真が不鮮明だったので気になっていた。この際、撮影してもらうことにしたところ、現在の担当者である美濃口雅朗さんから今日写真が届いた。そこで、鮮明な写真を紹介すると共に、当時解読・解説をお願いした竹野孝一郎さんの解読を再掲したい。原文は竹野孝一郎2012「赤塚源太郎宛の辺見十郎太書状」pp.11~pp.15『西南戦争之記録』第5号 西南戦争を記録する会である。
銃器者揃次第相渡可申候付不日人馬御遣可給候晩☐(五カ)報知☐(可カ)申候求磨川筋も被取切候注進共見申候大至急繰出シ候間御方等ニ者可成早目大口迠御繰出シ可給候筒も宮崎☐(縣カ)之☐(様カ)求分令テ商人呼出置、相調次第大口迠相届候様申付置候間、同役場ニ者明日一同進軍相成候處迠前以御差止可給候猶い細ハ両名御聞取可給候也
紫月廿六日
邊見十郎太
赤塚源太郎殿
川崎 龍助殿
本司猛次郎殿
〇☐(拙)子者近
近日〇管轄郷之事ニ付乍余計御注意申進候此節之出足ニ付金子拝領之一条昨日所役元☐承リ甚申上簾子恥之至り今日ニ相成候而者商人等☐段々献金之人名在之候而も金なクテハ進軍ニも不至可☐☐(道草カ)ニ以☐(石カ)蹈候今日ニ☐金ニ而進退可決☐(頃カ)ニ而も無之候尤此切限り所役所ニ者、少シなりとも軍資金差出候儀ハ近々相達可置候処甚御名ヲ汚シ☐(候カ)悔而☐☐(等者カ)御☐(糺カ)可給候
高橋はさっぱり読めなかったので竹野さんには感謝するしかない。長い書状の中ほどに辺見十郎太と大書し、赤塚源太郎殿などと続け、ここで終わるつもりだったが、思い直して同じくらいの分量を書き足している。解説は原文をご覧頂きたい。
💭 💛16万 ⤵⤴