西南戦争之記録

これは高橋信武が書いています。

2023-01-01から1年間の記事一覧

市来四郎文書の薩英戦争の火箭(かせん) ※前野良沢が「解体新書」を解読したように少しずつ進行中です。

先日、大分県立図書館で新入荷図書の棚に「鹿児島県史料市来四郎 三」があったので、パラパラっとめくったら薩英戦争時の火箭(かせん・ロケット)の記述があった。この本は市来(いちき)四郎編「旧邦秘録(きゅうほうひろく)」文久3年巻五~巻一六を活字…

中井弘の漢詩掛軸

中井弘(ひろむ)は鹿児島出身のひとで、幕末・明治に活躍している。彼の漢詩掛軸を紹介したい。フランスで詠んだ詩であり、当時の日本人が西洋に行ってどのような漢詩を作ったのか興味がわいたので購入した。掛軸の高さは220㎝、軸先を含まぬ横幅は67㎝。 …

「西南戦地取調書 豐後」の内、佐伯市旧宇目町 ※追加・修正します。つづく

6月24日の説明まで来た段階で、上記を紹介しておきたいと考えた。この史料は前にも述べたが明治16年に参謀本部員が関係各県を巡り、市町村に戦跡の報告を求め、各県が県毎にまとめて提出したものが世の中に流失したものの内、大分県関係の史料である。 原剛…

「陣中日誌稿(明治十年 戰争日記)」 臼杵の戦い以降、6月11日から※加筆中です。「西南戦地取調書 豊後」の内、宇目町部分を別に追加します。 

少し前に小川又次の表題の日記全文を掲げたが、時間がたったので何をしていたのか忘れてしまいそうだった。本文の紹介は繰り返しになるのを承知で臼杵の戦い以降について逐一見ていきたい。臼杵を占領した薩軍だったが、6月10日までに官軍により追い出され…

「西南戦地取調書 豐後」の内、臼杵市 ※加筆中です。

1877年の西南戦争時、6月上旬に大分県臼杵市で戦いがあった。このブログで大分市・臼杵市の戦跡と戦記について書いてきたが、表記の史料にある臼杵関係の部分を掲げるべきだと考え、紹介したい。臼杵関係のブログに入れてもよいが煩雑になるので独立させるこ…

臼杵攻撃関係の戦記 

大分市・臼杵市境界付近の戦跡を調べたので、次は記録類を調べてみたい。戦跡調査のところで掲載済みの史料もあるが。この地域にかかわったのは主に熊本鎮台だったので、「熊本鎭臺戰鬪日記」6月8日部分に掲げられた臼杵進撃目的の概略を示す。長くなるが詳…

九六位山の西・南を少し歩いてみました。

今日も青空に誘われ、近場の山に出かけてみました。 図の左半分が歩いた所です。駐車したところで道端でアマ無線をしている人を横に見て道の脇の尾根に入り、頂上で鹿の角を拾い、帰りがけに無線の人に上げました。宇目町の山中で鹿の骨や全身骨格のばらけた…

大分市と臼杵市の境にある官軍台場跡 

西南戦争の最中、竹田市の東にある三重町から臼杵市内に薩軍が侵入し、一週間ほど後に官軍が臼杵を奪い返しに行くという事態があった。この時の戦跡を調べることを以前から繰り返してきたが、最近やっと大方の分布調査が終わったので少しずつ加筆して紹介し…

白山東側尾根を踏査

大分市と臼杵市の境界にある吉野越・松原峠・白木越・再進峠・白山越の記録を読んでいて、白山越東側がまだ未踏査であることが気になっていた。今日は青空なので行ってみることにした。 詳しくは後日説明するが、第六聯隊の北川大尉の部隊は1877年6月8日、「…

豊薩戦争・戸次川の戦いの頃の山城跡か?

最近、西南戦争に関して小川又次日記に関連し大分市戸次から吉野に至る「吉野越」、あるいは「吉野峠」とも呼ばれた周辺を踏査している。熊本鎮台が1877年6月に臼杵攻撃のためにたった一日だけ露営したところである。戦闘はなかったが、野営地が襲撃を受ける…

竹田市鏡東部の戦跡

「西南戦地取調書 豊後」に官薩両軍の陣地があると記録のある竹田市鏡の東部に行ってみた。 問題の部分を拡大してゆく。 濃い青の三角が薩軍台場、赤が官軍台場である。濁淵川が蛇行して三方を囲った部分に山が一つある。ここから北側にかけて両軍の台場が背…

竹田市川向の戦跡

先日竹田市西光寺の北東側背後の凝灰岩丘陵地帯を歩いてみたが、今回はその続きです。時々引用する「戦地取調書」に薩軍の陣地があったと記録があるので確認に行ったわけです。 絵図で濁淵川が蛇行し南側に突き出ている部分が下の地図の右上部にある屈曲です…

高鼻公園の台場跡  

先日の小富士山踏査のところで触れた竹田市荻町高鼻公園の台場跡略図を作成したので投稿します。西南戦争時のものです。下は南側から遠景写真を撮ったもの。地図の矢印の位置から。 左奥の崖の上に戦跡があります。 高鼻公園の突端から北東方向を写したもの…

三笠宮崇人親王の帯広視察写真

帯広で撮られた集合写真に三笠宮が写っているのを実家で見たことがある。高松宮の日記は出版されているが三笠宮の日記がなく、どういう状態で撮影されたものなのか分からないままだったが、「三笠宮崇人親王」が出版されたことを知った。大分県立図書館には…

臼杵市 三角台を守る会のTシャツ

今日、西南戦争時の官軍台場跡をいくつも確認済の臼杵市諏訪の山間部で活動している「三角台を守る会」の村上中造さんからTシャツをいただいた。 臼杵湾北側に臼杵市総合運動公園があり、その背後の低い山に歩道を造り、看板・遊具を設置し、身近な山歩きが…

勝海舟が見た米国サンフランシスコの要塞

コロナの前年、サンフランシスコに行った。1860年、咸臨丸でサンフランシスコに着いた勝海舟が港の入口にある要塞を見学したことがあると書いていたのを思い出し、現地で「地球の歩き方」を開いてそれがどこにあるのか検討し、Fort Point(要所要塞)とアル…

今借りている本

〇「茶の湯の表具千家十職・奥村吉兵衛の仕事」淡交社 まだ読んでいない。 〇楊暁捷「戯れる江戸の文字絵」マール社 まだ読んでいない。 〇江橋崇「百人一首」ものと人間の文化史 これは面白かった。が、若干分かりにくかった。 〇「海幸山幸」九州国立博物…

今日、借りてきた本

図書館に時々行くので今日借りてきた本を備忘録のように記す。 〇町田市立国際版画美術館「謎解き浮世絵叢書 小林清親 東京名所図」 どこを描いたのか昔の地図と現在の地図とを示しているので面白そうだが、まだ読んでいない。 〇実方葉子「木島櫻谷 画三昧…

豊後大野市緒方町小富士山踏査

2023.2.23、竹田と緒方町を歩いた。 先ず、竹田市西光寺背後の尾根を歩いてみた。「戦地取調書」に台場があったと描かれているので確認したかった。 図の三角がそれで、満徳寺の東の山に二ヶ所、西光寺の北東側に一ヶ所ある。 西光寺の本堂前には寺の前の河…

「安田 榮の西南戦闘日記」田中 茂氏編集・解説

これは昨年12月10日付で田中茂氏(宮崎市在住)が出版された別働第二旅団伍長の従軍日記です。解説を合わせて全43頁。安田は浜田藩士であったが結婚後福島県士族となり、西南戦争勃発にあたり従軍し、各地を転戦して無事凱旋した記録です。 現在、若干部…

表示を替えました。

前の漫画風なのも気に入っていたけど、字が読みにくい面もあったので変更しました。

「西南戦地取調書 豐後」の内、竹田市

小川又次日記の舞台が竹田になったので、標記の史料の内、竹田市部分を掲げることにしました。これは以前に入手したもので、西南戦争後に参謀本部が関係各県に戦地の状況を取り調べて提出させたものです。ポツダム宣言受諾直後、軍関係史料が連日焼却され、…

「陣中日誌稿(明治十年 戰争日記)」6月 ※5月に加筆中です。後日月別に細分予定。

六月一日晴天午後當隊宇田枝ヲ発同三時頃ヨリ牧口エ繰込ム此日熊本縣士八名当地ニ着当隊附属有志ノ列ニ加エ入ス 六月二日晴天午前本隊牧口引揚ケ久原村及髙寺村ノ間道ヨリ重岡街道賊背ニ出ントシ午前五時頃三重市ヲ攻撃ス到レハ賊ナシ野津市迠追進ス此日三重…

浅ケ部をブラタモリでやってました。

「陣中日誌稿(明治十年 戰争日記)」5月に浅ケ部が出てきます。

今年できた甲骨文字

右部分2個は左折・右折から出来た甲骨文字です。2023.2.1 ブログの更新が時々あって、どうしてかわからないが手間取っていました。さっき挑戦したら更新できたので何かを載せようと思い、新しい甲骨文字を公開します。「止」は足跡の形からできた漢字(本当…