西南戦争之記録

これは高橋信武が書いています。

白山東側尾根を踏査

 大分市臼杵市の境界にある吉野越・松原峠・白木越・再進峠・白山越の記録を読んでいて、白山越東側がまだ未踏査であることが気になっていた。今日は青空なので行ってみることにした。

 詳しくは後日説明するが、第六聯隊の北川大尉の部隊は1877年6月8日、「当日臼杵ノ賊攻擊ニ付午前第二時市尾村ヲ発シ白山峠ニ登リ直ニ斥候若干員ヲ以テ賊情ヲ探リ續テ田口村ニ至リ諸口官軍ノ左翼山林ニ拠リ以テ迂回セシ賊ヲ遮蔽ス」という記録を残しており、大分市市尾から白山峠に登ったことが分かる。

   今日、市尾の三叉路で左に進み、御所峠から白山方向に進んだ。写真は市尾から白山を撮影。最近、黄砂がひどい。

市境の尾根を縫って車道が通るのですぐ隣に尾根上面があり、時間がかからない。図の赤い点線が歩いた所。地図の方眼は500m。

 道の脇20m位南側に緑岩片岩の扁平な長石を立てかけた施設があった。手前に祭壇上の石組がある。入口の看板から風神宮と呼ばれていることを知る。

風神宮の正面。右側に倒木が寄りかかる。側面は下の写真。写っている右端はもう崖になっている。そして下界が開け、臼杵方面が一望できる。

集落は松ケ嶽(まつがたけ)である。臼杵湾津久見島も肉眼で見えたが黄砂で写っていない。松ケ嶽集落の右背後は藤原山(標高257m)。以前向こう側から登ったことがある。

小さいマチュピチュみたい。今日は宇佐神宮の他に大分県にも神宮があることを知ったし、松ケ嶽がマチュピチュに似ていることも分かった。なお、台場跡は発見できなかった。