西南戦争之記録

これは高橋信武が書いています。

西南戦争前後の軍用水筒1 ※明治初期・中期・後期に分けて少しずつ加筆修正します。

 西南戦争の頃の水筒に興味があって時々調べてきた。整理整頓された話にはならないが、所有する水筒紹介を兼ねて関連事項を書き連ねてみたい。

 まず所有する硝子製水筒2個の写真。二つ以上あったと思うが見つからないので、発見したら追加したい。 

 右をイ、左をロと呼ぶことにする。どちらもガラス瓶を革で両側から包んで縫い付けている。表面の黒色は漆塗であると理解されている。下部にコップ状の容器がはまっており、固着して外れない。イにはひもと栓が付いているが、ひもは本来の物ではなく、栓の木質部は桐材のようであり、補修して本来の材と交換したのだろう。

 コップ部分を外した内側はどうなっているのかは次の平山晋さんの報告を見ると理解できる。現在、ネット情報を閲覧するとこのような水筒は西南戦争から日清戦争の途中まで日本陸軍の装備品だったと理解されている。しかし、軍装品に詳しい人も30年くらい前までは正確には把握していなかった。こう言うと悪意があるように思われるかも知れないが、そう解されるのは本意ではない。1992年の「軍装操典」にこの種の水筒が2頁で紹介されているので、入手しにくい本なので全文と図・写真を掲げたい。

 文字が読みにくいので活字化する。図と写真も拡大する。

 明治期には良く分からない品物があります。 

 これもその一つで、軍隊でまず使われないだろうと思われるガラスが使用されています。それは、内部にガラスビンが入っており、外側を革で包んであります。下方はコツプになっており、その材料は乾漆で出来ています。

 革の部分には、やはり漆塗りになっていて、かなり高級な作りになっています。このような水筒には負革が付いています。やはり肩から斜めに下げていたのでしょう。昔は背嚢の中入れていたと聞いたことがありますが、負革が付いている以上、肩から下げていたものと思われます。栓はキルクで、中心に金具が付いていて、その金具から負革まで紐が付いていて、中心のキルク栓が無くならない様になっています。

 乾漆製のコップの下部左右には真鍮製のボッチがあって、それぞれ負革がついていて、コップ紛失を防止しています。

 ガラス水筒を包んでいる革の上部は丁寧に縫ってありますが、下部は尾錠止めになっており、その尾錠を外して中のガラス瓶を取り出せる様になっています。

 かなり凝った作りになっていて、当時の職人の技術の高さを伺う事が出来ます。但し、先にも述べた様にガラスという割れやすい材質を使っているという事は、いままでそれほど寒い地方で戦闘が無かった事、又激しい戦いがなかったものと考えられ、いわゆる野戦に於いても、よく映画で見るような何列縦隊で鉄砲を構えながら、前進して行く様なナポレオン時代又は南北戦争などの戦闘形式ならば、ころんだり、伏せたり、石木にぶつかったりという行為が、あまり無いのでガラス製でも支障が無いものと思われました。

 ガラスで出来た水筒など他の軍隊では無く、日本独自の品物と思っていましたが、先日南北戦争時代の軍隊装備の写真を見ていましたら、そこに、ガラス製の瓶を革で包んだ水筒を見つけました。それは、形や凝り様は異なりますが、正に日本の水筒の原点でした。注釈にイングランドタイプとなっていました。

 第二次世界大戦などでは、とても考えられない程、明治期は優雅だったのかも知れません。

 本題とは関係ないがまじめな人柄が浮かび出るような文章である(やはり、ですます調にした方がいいんだろうか)。