西南戦争之記録

これは高橋信武が書いています。

熊本市内でブリキ製水筒調査 ※水筒写真を追加しました

 2023.2.20。初め田原坂西南戦争資料館で同館の作田徹さんの所蔵ブリキ製水筒を実測。西南戦争時とみられるのは3点あり、2点だけ実測できた。以前、資料館の北側にあった「弾痕の家」(今、資料館の南部にある同名の復元建物とは別)で展示していた遺物である。4代前の先祖が収集したとのことを先日電話で伺った。今日は勤務の関係で作田さんには会えず。小宮計則(かずのり)館長が西南戦争に詳しそうだった。写真は館長(右)と高橋(左)。水筒は3点で三種類に分類すべきものだった。

 その後、約束の時間もあるので実測を切り上げ、熊本城調査研究センターへ。伝統工芸館の東側。南西側を見上げると壊れた石垣の上方に天守と小天守が。

 増田直人さん(下の写真)がこちらが希望していた遺物を出しておいてくれた。報告されていない破片も見せていただけたが、それを見ると分類数をさらに増加せざるをえなくなった。今回は実測もしなかったし、詳細な報告はセンターにお任せしたい。

 今日見たのは全て金属製だった。熊本城遺物の中には田原坂でみた類や口縁部に銅の帯を巻いたもの、口縁部・肩・そこから胴部の上まで・胴部・側面に分けて合体させているものなど、水筒の形は複数の形があるようにみえた。しかし、ガラス製水筒が1点もないという共通点もみられた。熊本城では報告された栓と同じ未報告例が複数あり共通点がみられ、当時の水筒の栓がどういうものだったのか明確である。

熊本城調査研究センター蔵、熊本城跡出土水筒。左はコルクを欠損した栓で同形のものが複数見られた。右は同様の栓が付いた状態のブリキ製水筒。

2024.2.24。田原坂資料館実測二回目。残りの一個を実測に出かけた。阿蘇カルデラの西側の立野を通過するとき、金峰山一帯に雲がたなびいていた。

 途中、建設が終わった半導体工場の南側を通過したが、広い敷地内に建物が散在していた。熊本平野は造成工事に手間がかからないほどの平原で、阿蘇外輪山から有明海まで畑が続いている。今日は作田徹さん(写真)に会えた。

        作田徹氏蔵のブリキ製水筒3点(目盛は20㎝)

 昔の「弾痕の家」は本来存在せず、造ったとのことだが、もう撤去していて存在しない。作田家の一画に建てたとのことだった。

 帰りがけに展示物を見ていて、ほぼ完全な金属製水筒が一個展示中であるのに気付いた。横断面が碁盤の石状で熊本城出土品に似ている。これは実測しなかった。

つづく