西南戦争之記録

これは高橋信武が書いています。

臼杵市井村山の写真を撮ってきました

 臼杵市井村山で以前見つけた台場跡の遠景写真を撮る序に、その北東側の大字井村字桑尾に初めて行ってみました。

 桑尾でも例の絵図に一ヶ所薩軍台場があると●が落とされており、それを確認するのも目的でした。途中、まだ大分市の所で、前方の佐賀の関(さがのせき)連山が濃淡で奇麗だったので撮影。帰宅後パノラマにしようとしたら容量が大き過ぎると拒否されたので、単に繋いでみた(次の写真)。佐賀の関連山という名は勝手につけた名称で、他に九六位(くろくい)山脈と呼んだりしています。

 

 次の写真は桑尾に行く途中、南西方向の井村山北部を撮ったもの。手前の道は臼坂BP。6号台場跡と名付けた長大な塹壕の手前まで伐採された状態で発見していたが、それ以上立木が切られておらず、伐採跡地は草が茂る状態になっています。土取りが行われ茶色の地面がむき出しの部分の右側です。草地斜面のすぐ奥、森のはずれに塹壕跡がある。左奥に見えるのは水ケ城山です(高い部分の手前の低い峰には水ケ城跡がある)。

 上は拡大。下の地図の青い矢印が撮影方向。矢印の根元に墓地の記号があるが、この付近に薩軍台場があったとみられる。

 付近で草取りをしている人に訊いた所、今の墓地は周辺にあった個人墓を一つの墓石にまとめたものであり、この付近での西南戦争に関する話は聞いたことがないということだった。墓地の北側から南を向いて撮影したのが次。墓地の東側、写真の左は崖になっていて、森は斜面の樹木。右側は畑で遺構は地上からは確認できない。ここに台場があれば見晴らしがよかっただろう。遠景左は臼杵津久見の境界にある鎮南山(536m)

 

 背後の最高所は標高257mの藤原山。こちら側の斜面はミカン畑だが、頂上は旧地形を残す。以前確認したが台場跡はなかった。

おわり