西南戦争之記録

これは高橋信武が書いています。

川原内(かわらうち)峠の戦跡②

 今回は昨日の報告だけ。まだ図化は半分くらいしか終えていない。

 昨日(10月29日)、台場跡の略図作成に行き県道の西側(姫岳側)を不完全ながら図化した。3枚に分けて作図したのを帰って複写し接合したら県道まで含んでいない状態なので分かりにくいと気付いたので、再度出かけるつもりだ。昨日はその後、県道の反対側を図化しようと調べてみたら、先日見つけておいた残り具合のいい台場跡1基(下の写真。巻き尺を土塁の外裾と土塁上面の外側に置いて撮影。改めて杉山だったと思う)の他に小さな谷の向こう側にももう1基見つけた。二つ並んで下る細尾根に一つずつ台場を築いたのだ。

 この二つは山の斜面の途中、中間くらいにあり背後から襲われたらどうしようもない。

上写真の台場跡から小さい谷を越えたところにある台場跡。相互の距離は30m位か。

 そこで尾根の上まで(前回も見たのだが)行って、頂上そばで南側を尾根に沿って縦断する山径をじっくり観察した。この付近で一番高い頂上はもっと先、東にあるのだが、そこから尾根が川原内峠に延びており、その尾根の頂上よりも少し低い位置を山径が縦断する(地図の緑線

碁盤ケ岳に続く山みちで、ネット情報では姫岳との縦走路として使う人もいる。径は溝のようにやや深くなっており、先程の二つの台場跡がある部分の背後だけ片側が土塁状に盛り上がっている。この特徴は前回見逃していた。山みちを台場として再利用したに違いない。土塁状の部分が弾除けとして故意に築いたのでなくとも、ここで守ったと思う。このみちが東の方にどう向かうのか、確認していない。

      山みちを利用した台場跡(向こうの方に土塁部分が始まる)

          その中央部。土塁部分がハッキリしている。

      山みち台場跡(東側の物)遠景。土塁部分を強調した。

県道の東側で最初に見つけた台場跡の背後上部に位置する山みち台場跡。手前二つの島状に色が黄色っぽい部分は土塁として積み上げたものが地山と区別できる。土塁部分は向こう側に続く。

姫岳登山路の標識はないと前回書いたが、8m程南側にこれがあった。最初山に入った斜路は新しいのだろう。

 県道に降り付く手前でマムシを見つけた。他にもいるんだろうな。まだ暖かいので寒くなってから図化しようかな。  つづく