satsumareb’s diary

これは高橋信武が書いています。

第九聯隊第三大隊第四中隊の西南戦争 7月  ※7月1日の戦闘報告表をワードに入れたら開けず、再度ちまちま入力中です。

 6月30日、両軍は川内川左岸の幸田山一帯で対峙状態となったが、それも一瞬で変転してしまう。7月1日の「戰記稿」第二旅團を掲げる。解説を加えつつ分断して進める。

  七月一日第二旅團ハ午前五時右翼軍先鋒諸隊一ハ二渡村前面山上ヨリ一ハ廣田村ヨ

  リ並ヒ進テ山上ノ賊壘ヲ攻ム又其一ハ前田山ヨリ其背ニ迂廻ス童山峭山急我軍蔽障

  ナシ仰攻頗ル苦ム賊、要衝ヲ扼シ瞰射甚タ烈ク容易ニ拔クヘカラス是ニ於テ諸隊分

  レテ其左右側面ニ出ツ而シテ背攻ノ兵モ亦登ル三面共攻之ニ肉薄ス中軍、後ニ在テ

  鬨喊其氣勢ヲ援ク偶〃第三旅團ノ兵其山背本庄街道ノ賊壘ヲ衝ク賊、斷後ノ虞アリ

  氣頗ル褫ハル我軍、機ニ乗シ奮擊、賊遂ニ壘ヲ棄テ走リ後山ノ險ニ據ラントス急ニ

  擊テ亦之ヲ走ラシ近衛兵一中隊大久保大尉(利良)鎭臺兵一中隊今村大尉北ルヲ逐

  フテ山ヲ踰エ共ニ本庄街道賊壘ノ背後ヨリ瞰射ス賊其不意ニ出ラレ亦支ヘスシテ走

  ル両隊下テ幸田村ヲ取リ

 前田山は国土地理院地図の基準点検索で標高280mの山だと分かった。二渡村にある学校から南に630mの距離にその頂上がある。そこから水田地帯の細い谷を挟んで西南西2kmに薩肥軍の中心陣地、陣ノ岡がある。前田山は禿山(童山)かつ急峻(峭山)で官軍にとって身を隠す場がないので、左右に分かれて、山の背からも攻撃した。その際、第三旅団が幸田山の西側の本城街道の敵を攻めていたので、薩肥軍は背後を絶たれることに気を奪われたのに乗じて第二旅団は陣ノ岡を奪った。敵は背後の山(本城街道との間にはまだ尾根が続いている)に後退して官軍を防ごうとしたが、これを追い払い街道付近の敵を山上から射撃した。街道付近の敵は不意に背後から攻められたので逃走し、第二旅団は幸田村を占領した。

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  其銃器彈藥糧米ヲ略シ一隊ヲ分テ先ツ村左丘上ノ賊壘ヲ攻メ之ヲ拔キ更ニ進テ敗賊

  ヲ追躡シ遂ニ栗野街道ノ斧山ヲ占領シ以テ栗野ヨリスルノ賊路ヲ塞キ而シテ直チニ

  横川麓ヲ突カントス賊、返拒、路傍ノ山上中野村ノ内宇山之口ニ據リ我軍ヲ掩射ス時ニ

  援隊近衛兵二中隊粟屋(則傚)山縣(俊信)兩大尉馳セ至リ共ニ多擊テ之ヲ走ラス既ニシ

  テ第三旅團兵モ亦本庄街道ヨリ賊ヲ遂フテ茲ニ來ル今井中佐、機失フ可カラスト爲

  シ直チニ策ヲ决シ本道ノ右方ヲ第三旅團ニ托シ自ラ其左方ヲ取リ齊ク進ム賊モ亦險

  ニ據テ善ク拒ク