野村忍介の掛け軸を紹介する。軸装の結果、表面に現れた本紙の大きさは縦149.7㎝、横62.3㎝である。
南洲翁を手向奉流歌
命ならて外爾手向む物无那し袖者なミた能時雨のミして 忍
(南洲翁を手向け奉る歌 命ならで 外に手向けん 物もなし 袖は涙の 時雨のみして)
同じ歌を書いたものが世の中に他に存在するので区別するため、これを作品イとする。高野和人「西南戦争 戰袍日記写真集」には同じ歌を記した野村の短冊、作品ロが掲載されている。この短冊は熊本隊士松村勝三の子孫・松村英昌氏蔵である。「明治十一年九月二十四日、西郷隆盛の一回忌に際して、市ヶ谷監獄に服役中の元奇兵連隊長野村忍介は、追悼の歌を詠んでその霊を弔った」とし、
南洲先生の一回忌にあたりて 命ならて外に手向けんものもなし
袖は涙の時雨のみして 忍
と紹介している。1877年9月24日、鹿児島市城山で西南戦争は決着がつき、その一年後に野村は収容された東京の市ヶ谷監獄で西郷を偲んで詠んだのである。
初めの詞書はイとロは異なるが、作品イが西郷の一回忌追悼の歌だと分かる。参考のために、前回紹介した短冊の署名も最初の写真左下に掲げている。3点は似ているとはいい難いが、先に紹介した月照の「忍介」と比べれば、野村の忍は似ている。
※これも大津祐司さんに難解字を教えて頂いた。