西南戦争之記録

これは高橋信武が書いています。

一太郎からワードへ

 以前、勤めていた時職場の文書は一太郎で作成した。

 しかし、初期は手書きの起案文をタイプライターで清書してもらっていたので、職場にタイプを叩く音が鳴り響いていた。発掘調査報告書原稿は緑色の線が引かれた罫紙を使ったように思う。その後、卓上テレビのような大きさのワープロ(当時100万円以上した)を使う人が現れ(悪字の人が使っていた)文書束の背中に印刷した字を貼っているのを見た。この後かこれと前後するかもしれないがノートパソコンのような厚いワープロが流行り(しかも初めは画面に数行しか打ち込めないようなやつであり、傍から眺めたことがある程度だったが、或時から画面が大きくなっていた)、その後はフロッピーデイスというのに記録させていた。そのころはみんな自前の物を買い、支給されるということはなかった。さらにワープロ機能を有するパソコンが現れた。職場では一太郎が推奨されていたが中にはワードの人もいた。それも自前だった。

 このような変遷だったと思うが、先端を行く人は違う記憶かも知れない。一太郎に慣れてしまって変更するのが面倒くさかった。図面をたくさん入れた文章、発掘調査報告書を作成していたのだが殆ど文だけ打ち込んで、図は現物を印刷所に渡していた。つまり文はワープロ、図は手渡しだったのだ。図を入れる部分は四角く囲ってそれと指示していた。一太郎でも少しなら図を入れることができたが、慣れてしまっていたので不便とは思わなかった。ワードなら多数の図を文中に挟むことができるということもちらほら聞いていたが、乗り換えるほどでもないと思っていた。

 それが退職する頃だったが、ワードの良さを本格的に認識し、乗り換えることにした。職場の若者に教わった。隣の席にいた友廣美和さんからあれこれ教わり、同じことを何度も訊いて終に乗り換えに成功した。友廣さんありがとうございました。最近、大塚進也さんが僕と同じ道を歩いているとのことなので、当時を思い出してこれを書いた。

 同じようにスマホの機能をほとんど活用できていない。それほど不便とも考えていないが、多分今の自分は一太郎を使って不便と思っていなかったのと同じだろうナ。ツイッターは見るだけにしていたが、最近になっていろいろ個人情報を記入しないと覗けないことになり、見ないで我慢していたら「X」になったんだと! リアルタイム欄に載った時だけしか見られない。それで一寸考えてみたらブログをXのように使っていけば、他人のは覗けないがXなしでもまあいいか、と思っている。