伊東成郎著2022年「斎藤一 京都新選組四番隊組頭」河出書房新社という本を開いたところ、斎藤一(藤田五郎と称していた)が西南戦争に従軍し負傷した高床山の場所が分かっていないという記述があったので、この短文を書いておきます。同書には下記のように記されています。
ちなみに藤田が奮戦し、受傷した「高床山」について、明治以降の大分県地図を
複数あたったが、表記そのものがみられず、確認がとれなかった。大分県と宮崎県
の県境付近の山岳かと思われる。
2016年、「山崎純男博士古希記念論集」に「高床山について」と題して高床山の場所が判明したことを報告したことがありました。伊東氏の推定通り、大分・宮崎県境の山であるが、今、その抜刷りを探してみたが見つからないので、PCに残っていた図を貼り付けておきます。