西南戦争之記録

これは高橋信武が書いています。

臼杵市掻懐の銃弾痕

 8月15日、臼杵史談会で二回目の話をした。場所は臼杵交流プラザ。その際、聴講に来ていた人(織田金一郎さん)から掻懐の仏像に西南戦争時の銃弾痕があると教えてもらったので、翌日の本日、見学に出かけた。

掻懐の仏像

 大体の場所は聞いていたが、現地に行くと発見できなかったので付近の民家を訪ね質問してみたところ、現地を案内してくださった。小野ナツ子さんという。小野さんによると昔は現在所在する場所にはなく、道路を挟んだ南側の、今は公民館がある所にあったという。仏像の向きは同じだとの事。

 小野さんと仏像。大きさが分かると思う。向かって左側の像に銃弾痕と伝わる傷がある。撮影時の太陽光線が不適だったので、再挑戦するつもりだ。

 基部に「文政云々」と刻まれているので、西南戦争当時には存在した。背後の地面に石塔類の部品が集積してあり、一石五輪・宝篋印塔・五輪塔などがある。

今回、お世話になった織田金一郎さんと小野ナツ子さんにお礼申し上げます。