西南戦争之記録

これは高橋信武が書いています。

大分市の春

 今日の大野川右岸、九六位山から麓。杉の植林地帯には桜はない。田んぼの緑が美しい。

 背後の標高450m前後の山脈はプレートの付加体で1億年前とかの地層で、日本列島がまだ大陸の縁辺だった頃に海岸線に衝突して付着したもの。砂岩・緑デイ片岩などからなる。手前の標高150m前後の低山は100万年前頃の河川堆積層で、水平に砂や円礫、火山灰などが多数堆積している。

 山際の集落名は「火振」(ひふり)、古代の狼煙(のろし)は官道のそばの低い山に設けられた。四十里(約20㎞)ごとにあった。大分県内には「日岳」・「飛山(飛び火山)」・「富山」・・・がある。

 茨城県の飛山という山城跡を発掘した時に「烽家」と墨書のある土師器の皿が出土し、ああ飛山というのは「飛び火の山」だったのかと初めて分かったのである。これらの地名を手掛かりに古代の官道がどこを通っていたのか考えることができる。昼は煙を揚げ、夜は長い棒の先端にカゴを付け、何か燃えるものを入れて遠くからでも見えるように振り回した、たしか。隣の狼煙台が応答しなかったら直ちに駆け付けねばならなかった。それで狼煙台は低い山で、かつ見通しの良い立地が選ばれた。

 下の地図は大分市の別府湾沿岸地図。昔、飛山横穴墓群という古墳時代の横穴墓群が発掘調査されている。山の北側斜面下部に岩を掘り抜いた横穴群があり、県道拡幅の邪魔になるので調査したのち破壊された。当時は狼煙台があったとはだれも思わなかった。しかし、幸いにも工事範囲外だった山上に残っているはずだ。地図の神社記号のある場所。確かに海側にこの小山だけが突出しており、上に上れば遠く東西が見晴らせただろう。煙を揚げて隣の狼煙台が反応しなければ、大至急出かけてっ知らせる決まりだった。ここに登ったことはない。担当した役所の跡がどこか付近にあるのだろう。

写真の付近には古代の官道は付近に想定されていないと思うが、それよりも新しい時代のものだろうか。

 写真手前中央の小高い山に遺跡があるかも知れないが、登ったことはない。

 

 

少し下流。右岸戸次(へつぎ)の近郊農業地帯。向こうの山は桜が満開で、いかにも春らしい。