西南戦争之記録

これは高橋信武が書いています。

鬼ケ城の墓地略図 ※途中ですが。

 銃弾痕のある墓石を調べる際、墓石の分布図があると便利なので略図を作成しました。

   

 左図は頂上にある曲輪1とした部分の右半分です。地面はコンクリートで固められており、周囲はコンクリートブロックで区画されています。墓石は密集して整然と並んでいるので、いつの時点でか並び変えられ、西南戦争時の状態を留めていないようです。曲輪1の左三分の一は1m程度下げられ、現代の野溝家の墓石が建てられており、曲輪1全体の墓石は野溝家のものが大部分のようです。江戸時代の墓石の中には野溝と彫り込まれたものもあります。

 曲輪2にも近世の墓石が多く存在し、銃弾痕を残すものが少なからず存在します。

 台場跡とした部分は東・南・西が土塁状になっています。ただし、竹田市街地周辺の近世以降の墓地は周囲を低い土塁状にしたものがまま存在するので、西南戦争時にそれに手を加えて台場にした可能性があります。

 まだ不十分な点も多く、今後訂正加筆します。