西南戦争之記録

これは高橋信武が書いています。

竹田市鬼ヶ城(蛇塚)の戦跡1

 臼杵市掻懐の3D写真を撮ったことを契機に、竹田市蛇塚別名鬼ヶ城の銃弾痕も撮りたくなった。今日、久しぶりに出かけ撮影してきた。

 岡城を初め一帯は9万年前に阿蘇凝灰岩が埋め尽くし、浸食を経て残ったのが現在の地形となっている。鬼ヶ城の東北側には鴻巣台、その北側には茶屋の辻(ここは運動場に造成されたため調査せずに消滅した。地図参照)という西南戦争激戦地がある。鬼ヶ城は北西から南、東側を川がめぐり頂上には江戸時代を主とした墓地がある。頂上には今日数えたところ約35基の墓石が建ち、周辺にも分布する。そして西南戦争時に薩軍側が守り、官軍が攻撃し激戦となった所である。墓石の中には複数の銃弾痕を残すものがある。

 墓石が今のように立った状態で銃撃を受けたとは考えられない。石材を陣地に持ち込んで弾除けにしたと考えるのが自然である。熊本県田原坂付近には墓石を連ねた石塔台場と呼ばれた台場の写真が残っている。墓石は手っ取り早く台場を築くのに手ごろな大きさだから、利用できるものは当然利用しただろう。

 鬼ヶ城墓地でも戦後、地元民が元の位置に復元したはずだ。ついでに言えば墓地に上る手前に立哨壕なるものが二つあったが、農民が水をためたような道路際の崖面に掘った半球形の掘り込みのように見えた。墓石は頂上はもちろん、斜面にも狭い平坦面を造成しておかれている。大部分は江戸時代の年号が刻まれている。斜面部の墓石は倒れたり、基部から転落したものが目立つ状態だった。

 3D写真を撮ったのだが、頂上から斜面平場へと範囲を広げているうちに間違えて消去してしまい、やる気も消えてしまった。しかし、範囲を広げたおかげで台場跡1基をすぐ傍で発見した。

 墓石の配置や銃弾痕の状態、台場跡を第三者に理解してもらうには図化する必要があると思われたので、改めて出直したい。

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