1877年6月10日、臼杵から薩軍が津久見・佐伯方面に敗走した後、官軍は薩軍の再来に備えて哨兵線を布いて備えた。その範囲は津久見市警固屋村前面の山脈から場所不明の建岩、姫岳までである。どの部隊が担当したのか、期日は、などについて分かる範囲で記して…
引用をストックしました
引用するにはまずログインしてください
引用をストックできませんでした。再度お試しください
限定公開記事のため引用できません。