satsumareb’s diary

これは高橋信武が書いています。

第七聯隊第一大隊西南戦記綴(6月)

六月一日天晴ル大哨兵第二中隊第三中隊ヲシテ交代ナサシメ第一中隊第四中隊ヲシテ援隊タラシム

六月二日天晴大哨兵第一中隊第四中隊ヲシテ交代ナサシメ第二中隊第三中隊ヲシテ援隊タラシム先キニ在東京将校ヨリ慰労ト乄送ラルヽ處ノ酒肴ヲ分チ各中隊ニ配與シテ積日ノ軍労ヲ慰ス

六月三日天晴ル大哨兵第二中隊第三中隊ヲシテ交代ナサシメ第一中隊第四中隊ヲシテ援隊タラシム大隊本部ヲ髙見馬塲ニ移シテ緩急叓ニ應スルノ便ヲナス

六月四日天晴大哨兵第一中隊第四中隊ヲシテ交代ナサシメ第二中隊第三中隊ヲシテ援隊タラシム此ノ日神代淸之進永田政義被任陸軍中尉島村友直陸軍少尉ニ折笠清雄江橋亮陸軍少尉試補ニ任セラル其他下士官十八名各凡テ昇級ス

六月五日雨ル大哨兵第二中隊第三中隊ヲシテ交代ナサシメ第一中隊第四中隊援隊タリ

六月六日午前雨午後晴大哨兵第一中隊第四中隊ヲシテ交代ナサシメ第二中隊第三中隊援隊タリ

六月七日天晴大哨兵第二中隊第三中隊ヲシテ交代ナサシメ第一中隊第四中隊援隊タリ此ノ日拂暁ヨリ賊大砲ヲ発スルヿ頻リナリ官軍又之ニ應ス午後九時ニ至リ戦始メテ罷ム吉弘鑑徳出勤ス

六月八日天雨降ル大哨兵第一中隊第四中隊ヲシテ交代ナサシメ第二中隊第三中隊援隊タリ此日賊又午前九時比ヨリ大砲ヲ発ス従テ官軍之ニ應ス終日ニシテ罷ム

六月九日天雨降大哨兵第二中隊第三中隊シテ交代ナサシメ第一中隊第四中隊援隊タリ賊亦午前第九時比ヨリ大砲ヲ発ス暫時ニシテ休ム

六月十日雨ス大哨兵第一中隊第四中隊ヲシテ交代ナサシメ第二中隊第三中隊援隊タリ内山少尉病症ヲ発シ病院ニ入テ治療ス吉弘鑑徳被任陸軍少尉下士又昇級アリ賊又大砲ヲ発スルヿ前日ノ如シ

六月十一日風雨最モ烈シ大哨兵第二中隊第三中隊ヲシテ交代ナサシメ第一中隊第四中隊援隊タリ此日(アルムスロトニリラ)砲ヲ西田𣘺砲塁ニ備ヘ賊塁ヲ砲擊ス其ノ命中頗ル妙ナリ此日ニ於テ賊大ニ恐怖ノ色アリ我第一中隊軍曹賊ノ破烈弾ノ為ニ右股ヲ傷ク而乄直ニ病院ニ入ル

※(アルムスロトニリラ)の部分が誤読したかも知れないので、原文を示す。

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六月十四日天晴大哨兵第一中隊第四中隊ヲシテ交代ナサシメ第二中隊 第三中隊援隊タリ此日賊大砲ヲ発スルヿ前日ニ仝

六月十五日天曇大哨兵第二中隊第三中隊ヲ交代ナサシメ第二中隊第四中隊援隊タリ此日砲戦ナシ

六月十六日天晴大哨兵第一中隊第四中隊ヲ交代ナサシメ第二中隊第三中隊援隊タリ此日砲戦少シナリ然レノモ賊数日来研究セシヤ甚タ適度ヲ得我兵ヲシテ一時擾騒ナラシム

六月十七日午前曇午後天晴大哨兵第二中隊第三中隊ヲシテ交代ナサシメ第一中隊第四中隊援隊タリ此ノ日砲戦尤モ烈シ終日ニシテ罷ム

六月十八日天晴大哨兵第一中隊第四中隊ヲシテ交代ナサシメ第二中隊第三中隊援隊タリ此日砲戦少々ナリ

六月十九日午前雨午後晴大哨兵第二中隊第三中隊ヲシテ交代ナサシメ第一中隊第四中隊援隊タリ

六月二十日雨午後晴大哨兵第一中隊第四中隊ヲシテ交代ナサシメ第二中隊第三中隊援隊タリ此ノ日第四旅團進擊部署定リ暗ニ乗シ海路ヨリ重冨ノ賊ヲ擊ツ此ノ時我カ第二大隊ヲ以テ之レカ應援トナシ俱ニ海路ヨリ進ム

六月二十一日天晴大哨兵第二中隊第四中隊ヲシテ勤メシム此ノ日午前第八時第三中隊其ノ半隊ヲ遣シテ賊ノ方面ヨリ脅シ而乄賊ノ虚実ヲ探カシ午後七時ニシテ帰ル

六月二十二日大哨兵第一中隊第三ノ両中隊ヲシテ勤ム此ノ日第四旅團ヨリ一大隊ヲシテ海路ヨリ進重冨吉野ノ賊巢ヲ襲ヒ之レヲ攘ントスルノ檄令ヲ傳リ此ニ於テ我第四中隊其ノ一小隊及第一中隊ノ一分隊ヲシテ各其向フ處ヲ定メ賊ノ方面ニ出テ賊ヲシテ緩急應援ノ気ヲ☐☐セシメ或ハ賊ノ虚実或ハ幾夛兵擁スルノ形况ヲ察知スル為メニ我兵ヲシテ頻リニ射擊ヲナサシメ而シテ畧其ノ実ヲ探リ以テ帰隊ス時既ニ八時三十分ナリキ午后又第三中隊其三分隊ヲシテ西田橋ヨリ賊ノ方面ニ出テ亦賊ヲ脅カシテ其虚実ヲ探ラシム而シテ帰ル時殆ント第六時ニ垂ンタリ

    読めなかった☐☐の部分の原文を示す。手書きの場合、勝手に造字できる。

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六月二十三日天晴此ヨリ先第四旅團援隊ト乄遣ル所ノ第二大隊已ニ還ルニ及ンテ我第一中隊仝第二中隊舊線ニ復ス而乄我聯隊ノ如キモ又明旦ヲ待テ我方面☐(※竹偏に村)田村ノ賊ヲ擊タントスルノ命令アリ既ニシテ而乄各大隊其ノ向フ所ノ部署ヲ定メ我第一大隊及ヒ上野大尉率ユル処ノ大隊ヲシテ賊ノ正面ニ当ラシム此ニ於テ萬期定マリ而乄此夜第七時大隊ヲ軍門ニ勒シテ之ヲ閲スルニ兵士勇氣凛々ト乄恰モ一ツ百ニ当ル者ノ如キ勢アリ昔南宋ノ秋キニ當テ中原大ニ乱レ金人勢益猖獗既ニ金宋ヲ呑マントスルノ勢ナリシカ幸ニ宋澤岳飛韓世忠等ノ如キ英雄俊潔ノ士輩出セルニ及ンテ金人大ニ恐レ百戦百敗舌ヲ捲テ遁ル金主百万ノ衆ヲ擁シ常ニ歎シテ曰ク嗟呼山岳ヲ憾スハ易ク岳家ノ軍ニ憾スハ難シト今日我一大隊ノ隊勢ノ如キハ所謂岳家ノ軍ニ愧チサルヘシト假想スルモ決シテ疑サル所ナリキ

(※24日)此ニ於テ凖備全ク整ヒ而乄戦鑑ニ乗シ第八時ヲ以テ鹿児島港ヲ発シ夫ヨリ進ンテ脇田村ニ達ス時ニ翌二十四日午前第四時ナリ夫レヨリ経舸ニ乗シ兵士ヲ海岸ニ運ヒ既ニシテ天将ニ明トス進ム賊哨我兵ノ岸ニ達スルヲ望見シ射擊スルヿ雨注ノ如シ我兵彈ヲ冒シテ斉シク進ム賊兵支ユル能ハサルヲ知リ戍ヲ撤シテ遁ル我兵追躡スルヿ甚タ急ナリ行々賊ヲ破リテ二本松ニ至リ背後ヨリ之ヲ擊ツ賊又敗走ス此ニ於テ戰稍々罷ム大哨兵ノ部署ヲ定メテ各其要領ヲ守ル以テ賊ノ返襲ニ備フ此時天俄カニ暗黒雨頻リニ降リ身体洗フカ如シ兵卒労苦又思フヘシ時ニ大明神ヶ岳ノ戰将ニ酣ナリ我第一第二中隊ヲシテ應援ヲナサシム賊必死ヲ極メ防戦最モ勉ム夜ニ及ンテ賊始メテ遁ル官軍死傷百ヲ以テ数フ賊又之ニ倍ス亦此ニ大哨兵ニ布テ賊ノ夜襲ニ備フ

    下は6月24日の防衛研究所蔵の戦闘報告表(C09085082400戦闘報告原稿)。表の裏面には死傷者名があるが割愛した。戦死者は第一大隊が3人、第二大隊が22人で、負傷者は合わせて60人で、これらは金沢営所部隊としては記録的な多さだった。

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 海岸から脇田に上陸し、二本松に進んでいる。脇田は指宿枕崎線宇宿駅周辺である。二本松と武岡とか武山と呼ばれた場所については、甲突川右岸について書いた際の地図を再度掲げる。大明神丘という場所は武の山の東端にある大明神神社の山である。

f:id:goldenempire:20210414183742j:plain六月二十五日雨降右半大隊大明神岳ニ於テ大哨兵而乄左半大隊其村ニ於テ大哨兵大隊本部ヲ二本松ニ移ス

六月二十六日雨左右大隊仝断

六月二十七日天晴此日我第一中隊第二中隊近郷巡邏ノ命アリ此ニ哨兵線ノ交代ヲ得午前第八時西田町ニ整列シ先ツ発ス第十時横井村ニ至リ休憩ヲナシ夫ヨリ又進テ午后第四時十七分伊集院ニ次ス大哨兵ヲ布キ我第一中隊ノ半隊ヲシテ斥候ト乄近郷ニ遣シ賊ノ處在ヲ探リテ仝第九時四十分帰隊ス

 横井村は西田町の北西にあり直線距離で7km。到着まで二時間かかっている。さらに5kmで伊集院だが、こちらは経路が曲がりくねっているので時間がかかったらしい。

六月二十八日天晴午前第七時伊集院出発午後零時十五分市来村ニ達ス此ニ於テ大哨兵ヲ布キ猶賊ノ所在ヲ探リ既ニシテ我第三中隊應援ノ為メ此ノ日伊集院院ニ来ルト少尉試補折笠晴雄ヲ遣シテ其旨報ス

 市来の西部は東シナ海に面している。ここまでくれば薩摩半島を横断したことになる。

六月二十九日天晴此日我第一旅團大隅ニ進軍ノ議决セリト而乄又我第一第二中隊引上タリ急命ヲ傳ルアリ此ニ於テ午前第四時市来ヲ発シ第八時伊集院ニ至リ我第三中隊ニ會遇シ倶ニ共ニ鹿児島ニ帰ル時ニ午後第六時三十分ナリ而乄大隅進軍ノ命ヲ報ス

 部隊は終戦まで戦っているが「第七聯隊第一大隊戦記綴」は以上で終っている。鹿児島着後の行動は先に投稿した「甲突川右岸山地・・」と重なる内容であり、それほど説明の必要性を感じない。