西南戦争之記録

これは高橋信武が書いています。

討薩戰誌 1

 



【表紙には戰誌とあるが、ここでは戰記となっている。】

討薩戰記

二月二十二日福岡ノ臺兵一大隊髙瀬口ヨリ進テ植木ニ至ル賊兵亦来テ之ヲ迎ヱ両軍大ニ向坂ニ戦フ我兵遂ニ利アラス植木ノ糧倉ヲ焼キ退テ木ノ葉ヲ守ル

鹿児島市にある陸軍砲兵属廠が私学校徒に初めて襲われ、弾薬が奪われたのが1月31日である。その前、28日に陸軍卿山縣は大山陸軍少輔を通じ熊本鎮台司令長官谷少将に次の命令を下している。それは、熊本鎮台配下の小倉分営の第十四聯隊(長は乃木希典少佐)に移動を命じるもので、一個中隊が2月11日に小倉を出発し海路長崎に到着している。もし鹿児島県士族が決起すれば海上交通の要衝であった長崎が襲われるだろう、との予測によるものである。長崎県令はもっと増員してほしいと乃木に頼んだが、乃木は谷少将と協議して別の部隊を小倉から久留米に向かわせた。その際は行軍演習を名目にしており、残りの部隊には出戦準備を命じた。2月22日、薩軍先鋒は植木に入っていたが官軍の接近を知り、少し後退して向坂で乃木部隊と交戦した。官軍は敗走し、西方の木ノ葉部落一帯で夜を明かした。この時点で第一旅団(野津鎮雄少将)と第二旅団(三好重臣少将)は福岡市まで到着していた。】

廿三日我軍斥候兵四十人ヲ出シテ賊ノ形状ヲ探偵ス時ニ賊兵遂ニ襲来ス直ニ大隊ヲ繰リ出シ戦ヒ正ニ酣ナルニ及テ第二大隊ノ二中隊モ木ノ葉ニ着シ戰ヲ助クル中賊兵突然木ノ葉嶽ノ麓ヲ繞リ我兵ノ左翼ヲ衝キ攻擊酷タ鋭ク官兵已ニ遠路ニ疲ル且寡ヲ以テ退テ南ノ関ニ據ル

【昨日22日植木から木の葉に退いた官軍第十四聯隊は、この日東に向かって中央は道路・左翼は木の葉山の麓にある村落・右翼は川の堤防に展開し、植木方面の薩軍に備えると共に、20余人の兵を植木に出し、彼らは薩軍を誘いつつ官軍が待ち構える所まで退却してきた。朝8時半に戦いが始まり、官軍は夕刻には退却を決めた。後退を援護する40人ばかりの兵は木の葉の西1.5㎞の稲佐村の少し高い丘、おそらく北側の丘、に拠ったが、その直後に背後の木葉山から薩軍数百人が襲い掛かった。彼らはそれまでいた山鹿(木の葉の北東約12㎞)方面から玉名(木の葉の西北西約5㎞)・南関(木の葉の北北西約18㎞)を攻略しようと真夜中に出発した部隊だった。木の葉方面に銃声が盛んに起こるのを聞き道を転じて官軍の背後に出たのである。結局官軍の一部は玉名市街地の北約5.5㎞の川床に退き、本体は南関に退いた。薩軍は暗くなったため追撃を諦めて木の葉・稲佐に留まった。当時、本州から来援の官軍、第一旅団は福岡県小郡市松崎(九州縦貫道と横断道が交差する地点の4㎞東)まで、第二旅団は太宰府まで進んでいた。】

二十四日廿五日休戰

【24日第一旅団は松崎から玉名市高瀬に向かい、第二旅団は久留米まで進み一部は熊本への西側路線で大牟田市三池に到着した。久留米の南約10㎞の羽犬塚から熊本県に南下する路線は二つあり、東側の南関町経由か西側の大牟田市三池経由が当時使われた。西側から高瀬を目指したわけである。高瀬は玉名市市街地東部にあり菊池川の水運で栄えた港町である。両旅団本隊は南関で25日に合流することにした。日誌は休戦とするが、25日第一旅団は高瀬とその東北側にある迫間村に進み小代山でも戦いがあった。旅団の戦闘はこの日が初日である。戦誌原作者は戦場から遠くにいたのであろう。】

二十六日陸軍少将三好重臣西京ヨリ新来ノ兵及福岡ノ臺兵ヲ卒ヒ髙瀬船隈村ニ進テ兵ヲ分テ二隊トナシ一ハ迫間ノ後ヲ過キ木葉山ノ麓ノ賊塁ヲ攻メ一ハ寺田村ノ賊兵ヲ擊ツ賊死ヲ决シテ防戦スト𧈧ノモ我軍鋭鋒ニ当リ難ク近傍ノ民家ヲ放火シテ遁走ス我軍木葉迠追擊シテ船隈村ニ皈ル此日賊ノ死骸道路ニ陸續タリ蓋シ木ノ葉口ニハ薩兵迫間ノ渡髙瀬口ヨリ来リテ我陳ヲ襲ヘ我兵急ニ之ヲ接シ大砲ヲ髙瀬川ノ堤上ニ備ヱ對岸ノ賊兵ニ当ル賊亦我砲臺ヲ望テ群銃発弾丸雨ノ如シ是時ニ当テ三好重臣創ヲ蒙リ我軍頗ル苦戦ノ狀アリ勢イニ乗シ河上ノ瀬ヲ渡リ吶喊シテ我左翼ヲ衝キ玉名郡ノ茂林中紆廻シテ我南関ノ通路ヲ断タントシ同時ニ高瀬口ノ賊モ亦河ヲ過キ三池路ヨリ我右翼之側面ヲ攻擊ス此ニ於テ三面ニ敵ヲ受ケ進退維ニ然レノモ我兵山谷ノ間ヲ越ヱ玉名ノ賊背ニ出テ挟シ擊テ殆ト賊兵ヲ塵ニス黄昏至リ賊大ニ乱レテ走ル我兵敢テ北ルヲ遂ハス備ヲ嚴ニシテ後軍ノ至ル待ツ

玉名市街地の東側を東北から南西に流れるのが菊池川である。26日・27日、薩軍桐野利秋村田新八篠原国幹・熊本隊、官軍は第一(野津鎭雄)・第二旅団(三好重臣

)と小倉分営の鎮台兵が激突した戦闘であり、敗退した薩軍はこれ以降、積極的に福岡県方面への前進を行うことはなかった。】

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参考のために、以下に「新編西南戦史」の附録図を示します。

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