西南戦争之記録

これは高橋信武が書いています。

新年おめでとうございますA happy new year!

新年のごあいさつ代わりに大分県臼杵市の写真を投稿します(年賀状を出さなかったので)。臼杵川に架かる橋は大橋寺橋、右岸に大橋寺、向こう側に仏舎利塔の建つ諏訪山と大迫山。左奥は九六位くろくい山脈(自称)。

ラーメン

昔、どことは言わないけど某所でラーメンを食べたことがある。カウンターの前にすだれがあり、その向こうに小さい隙間があり、調理室がわずかに見える。カウンターの席に着くと両側に仕切りがあり、左右の客と隔てられている。すぐ隣に左右の客がいるのだが…

臼杵関連・高原(たかはる)士族田口敬之助

薩軍兵士田口敬之助は西南戦争の際、大分県臼杵で6月10日に負傷し、翌日官軍熊本鎮台に連行されている。彼は薩軍の状況を自供し、薩軍内部の規律を記した書類一枚を所持していた。防衛研究所にその際の彼に関する資料が残っている。臼杵で降伏した薩軍側の供…

重野安繹(しげの やすつぐ)の漢詩軸紹介

重野安繹の漢詩掛軸2点を紹介したい。2点とも以前購入したもので、読めない字がいくつかあるので先日、大分県立先哲史料館の松尾大輝さんに解読をお願いした。その場でも読めない字は残ったが、読めないまま紹介する。松尾さんには以前もお世話になったが…

中原幹彦2023.12西南戦争「熊本鎮台首脳部」古写真の再検討ー一枚の古写真がつなぐ物語ー の抜刷りをいただきました。

「歴史玉名」第105号の抜刷りです。 この写真は熊本城内、宇土櫓南側にある広場で撮影されたもので、10人が写っている。そのうち一人は従来誰であるのか不明だったとされていたが、中原さんは陸軍服制図・帽子・正衣・正袴・飾帯・飾緒・臂章(ひしょう)・…

廣瀬雄一著「対馬海峡をめぐる先史考古学」同成社 2023年11月30日発行

表題の本をいただきました。 著者の廣瀬雄一さんは慶応大学大学院を卒業。韓国の釜山女子大学客員教授の頃、九州縄文研究会でお会いして以来の交際ですが、近年の高橋は西南戦争戦跡の方に興味が向いたので縄文研究会から足が遠ざかっており最近はお会いする…

川ナシ峠の記事追加

先に臼杵市甲﨑山の戦跡②で1977年6月9日に官軍が臼杵攻撃の前に野営した川ナシ峠の所在地について検討し、下図の位置、2基の台場跡がある所付近に想定したが、当時の大分県民はその所在地について知らなかった、という史料が2件あったので掲げる。 その…

海軍の臼杵・津久見攻撃報告

6月8日から10日前後の海軍による臼杵・津久見攻撃についての報告があるので掲げる。下記では振り仮名部分をその通りに表示できないので( )内に入れている。 CO9080860100「明治十年自四月至七月 密事探偵報告口供書類 征討陸軍事務所」防衛研究所蔵0328…

大分市高崎山の城跡付近で新発見遺構群が報告されました

2023.11.19、県立図書館に行ったら、埋蔵文化財センター勤務の吉田寛さんに遭遇。9:20から山城の研究会があるというので、午前中参加してみた。 一番興味深かったのは大分市高崎山の城跡付近でこれまで誰も知らなかった中世の山城遺構群の発表(中津市教育…

川原内峠の戦跡➂

2023.11.12。少し寒くなったので略図作成に出かけた。現地の作業は9時から13時まで行ったが、その間、すぐそばの県道を通過した車は1台だった。ずっと曇天で、帰途で太陽が出る天気になった。 今日は県道の東側、上部にある山みちの台場跡2基と尾根筋を図化…

6月11日前後の姫岳から警固屋村までの官軍哨兵線

1877年6月10日、臼杵から薩軍が津久見・佐伯方面に敗走した後、官軍は薩軍の再来に備えて哨兵線を布いて備えた。その範囲は津久見市警固屋村前面の山脈から場所不明の建岩、姫岳までである。どの部隊が担当したのか、期日は、などについて分かる範囲で記して…

川原内(かわらうち)峠の戦跡②

今回は昨日の報告だけ。まだ図化は半分くらいしか終えていない。 昨日(10月29日)、台場跡の略図作成に行き県道の西側(姫岳側)を不完全ながら図化した。3枚に分けて作図したのを帰って複写し接合したら県道まで含んでいない状態なので分かりにくいと気付…

川原内(かわらうち)峠の戦跡(姫岳の南東側、臼杵市と津久見市の境界)① ※追加します。

1877年6月10日、臼杵の戦いが終わった後、薩軍は津久見を通り抜けて佐伯に移動した。彼らの再来を警戒した官軍は津久見市警固屋南方の山から始まり場所不明の建岩から姫岳までに哨兵を配布している。薩軍が臼杵から敗走した直後の動向について先に掲げた野…

姫岳の遺構

大分県臼杵市と津久見市に跨る姫岳に残る中世と西南戦争時の遺構に付いて略図を作成したので紹介したい。姫岳は標高619mで周囲から頭一つ飛び出た峰として遠くからでも見分けが容易で、臼杵市内では一番高い山である。 北西側の掻懐から見た姫岳 前回、臼杵…

「鞠智城跡内に残存する西南戦争時の塹壕跡 」岡本 真也氏執筆の紹介

熊本県山鹿市の古代(7世紀)城跡「鞠智城 きくちじょう跡」に存在する西南戦争時に薩軍・官軍が築造した台場群が紹介されています。奈良文化財研究所の「全国遺跡発掘総覧」で検索するとたどり着けます。 (熊本県立装飾古墳館研究紀要 第15集 20222.3.31)…

臼杵市甲﨑山の戦跡② ※長くなると読みづらいので②とした。

6月10日、官軍右翼が大迂回を行い薩軍の背後を攻撃し、これが契機となり臼杵の戦いは官軍の勝利で終わった。その前日、迂回した官軍は川ナシ峠へ配兵、露営したとのことだが地名から川ナシ峠がどこにあるのか分からなかったので、今日、下図の南下する矢印の…

臼杵市甲﨑山の戦跡① 

「西南戦地取調書 豊後」の臼杵市部分には現地を確認していない戦跡がいくつもある。今日は旧野田村(臼杵市福良と野田の境界?)の山を一つ歩いてみた結果、台場跡を1基発見した。写真は目的地の少し手前で大迫山・臼杵川下流を撮ったもの。青空と山がきれ…

西南戦争前後の軍用水筒1 ※明治初期・中期・後期に分けて少しずつ加筆修正します。

西南戦争の頃の水筒に興味があって時々調べてきた。整理整頓された話にはならないが、所有する水筒紹介を兼ねて関連事項を書き連ねてみたい。 まず所有する硝子製水筒2個の写真。二つ以上あったと思うが見つからないので、発見したら追加したい。 右をイ、左…

臼杵市望月の尾根を歩く

絵図に台場が記録されていると何か勘違いをして臼杵市望月の山を歩いてみました(赤い矢印)。臼杵石仏の火祭りの際に北側斜面に京都の如く「王」(大ではない)の字を焼く山の尾根続きです。 杉山になっていて、地表に草がなく歩きやすい往復1時間の運動で…

臼杵市井村山の写真を撮ってきました

臼杵市井村山で以前見つけた台場跡の遠景写真を撮る序に、その北東側の大字井村字桑尾に初めて行ってみました。 桑尾でも例の絵図に一ヶ所薩軍台場があると●が落とされており、それを確認するのも目的でした。途中、まだ大分市の所で、前方の佐賀の関(さが…

チャット(Bing)で遊んでみました。

最近、PCに新しい機能が出現しているので、外国語の単語やらを質問して遊んでいます。今回は「明治7年の台湾征討の時、日本軍はどのような水筒を使ったのか」という質問をしてみたところ、その答えは以下の通りでした。 こんにちは、これはBingです。 明治7…

宮崎県の西南戦争調査報告書(概要報告であり、本報告はこれからの予定)

2020年度から三年間、宮崎県埋蔵文化財センターが西南戦争遺跡の調査を行った分の成果の一部が報告書として公開されています。 確認した台場跡の数は521基、他に墓地や慰霊碑なども調査対象にしています。大分県内では900基前後発見していますが、宮崎では調…

Xを始めました。

ツイッターを時々拝見していた人達が今何をしているのか、どういう情報発信しているのか知りたくなってX(見るだけ)に参加しました。 そしたら佐倉桜香@Sakuraoka0429さんが新たに「しさつ」 t.co について投稿しているのが分かったり、その他色々の事が分…

「絵入りロンドン新聞」354 THE ILLUSTRATED LONDON NEWS ARRIL  14、1877の紹介

日本で「絵入りロンドン新聞」と呼ばれるこの情報誌は1842年に創刊し、1971年までは週刊紙だった。その後は月間や隔月に刊行されていたが2003年に休刊したという。題名の如くロンドンで発行されていた。 西南戦争の記事と絵がある資料の存在は皆さん御存知だ…

「陣中日誌稿(明治十年 戰争日記)」7月から ※少しずつ追加・加筆していきます。

しばらく遠ざかっていたが、前回の続きとして7月からの小川日記「陣中日誌稿(明治十年戰争日記)」を跡付けていく。 七月一日晴天夜第四中隊ノ左小隊長田村エ出張ス ※長田村は場所不明 七月二日晴天賊下赤及矢立峠ニ出没ス ※下赤は佐伯市宇目の水ケ谷の南側…

PCのメール機能復活

outlook で送受信できなかったメールが今日から復活した。ワンドライブとか何とかに保存されていたけど、容量が一杯とかで新たに受け入れなかったとか何とか。デスクトップのアプリワード・エクセルなどに×印が付いていたのもなくなり、元通りになった感じが…

「yamantarouの日記」を読む ※アルファベットを修正しました。

上記のブログに明治42年、熊本県人吉と鹿児島県吉松を結んでいた馬車の乗車券が紹介されている。大分県佐伯市宇目の赤松峠を大正2年に徳富蘆花が家族と共に馬車越えしているが、このような切符を購入したのだろうと想像できる。鉄道がまだない地域の、ま…

台風前の九六位山遠景

SDカードを買いに行ったついでにサッカードームから東側(佐賀関半島の稜線・向こう側が臼杵)の遠景写真を撮った。パノラマにしたかったが、PCから重なる部分が少ないと文句を言われ断念した。中央が再進峠、右の窪んだ付近が九六位峠(白木越)。台風が来…

飯田山へ 

今日、熊本平野の南東側にある益城町飯田山に岡本真也さんと登った。彼の誘いに喜んで応じた。熊本平野の南東部に目立つ山だがまだ登ったことがなかった。遠くからでも頂上が広く、立木が切り払われているのが分かる。西南戦争戦跡の踏査を重ねている人なの…

一太郎からワードへ

以前、勤めていた時職場の文書は一太郎で作成した。 しかし、初期は手書きの起案文をタイプライターで清書してもらっていたので、職場にタイプを叩く音が鳴り響いていた。発掘調査報告書原稿は緑色の線が引かれた罫紙を使ったように思う。その後、卓上テレビ…