satsumareb’s diary

これは高橋信武が書いています。

焼き物作品1

今はやってませんが、数年間陶芸を習っていました。 右から九州の縄文土器(約3,000+α年前)2点・中世の備前焼2点。焼く前の段階です。 熊本城飯田丸で出土した焼き物爆弾かなというのを複製してみました(二番目の写真)。出土品の図面を添付したいのです…

鹿児島城大手門に残る西南戦争の痕跡

鹿児島城の大手門は本丸の東側の一直線の石垣面の一部分が内側に入り込んだ内枡形です。主に枡形内側の石垣三面と床面には銃砲弾跡らしき多数の窪みが残っていて、西南戦争時のものとみられ、今回はこれについて記述します。 【御楼門付近の発掘調査中の写真…

駒嶺重幸「西南戦争履歴」2

七月八日賊襲來第二中隊前面谷合ヨリ進来リ凢一大隊斗三分ノ一ハ我左ヘ向ヒ一ハ正面ニ出ツ一ハ海岸ヨリ出ツ我兵向討テ悉ク之ヲ走シ殊ニ海岸ノ迂回兵ハ狼狽ヲ極メ死体ヲ捨退ク逐テ湊村ニ向ヒ河岸ニ至リ午前第九時半守線ニ帰ル此段御届申候也 十 年 七 月 九 …

駒嶺重幸「西南戦争履歴」1

所有する「西南戦争履歴」を紹介したい。和紙に毛筆で書かれたものである。本文は和紙を二つ折りにして、折り目が下になるように閉じ、片面だけに書いている。したがって、白紙の面が背中合わせになっている。出来上がりの一頁は縦11.9cm・横15.9cmである。…

討薩戰誌 3

四月一日拂暁原倉ノ官軍大舉シテ吉次峠ニ向フ賊険據リ防禦スルト𧈧ノモ我軍密ニ横山平山ヨリ銃鎗ヲ以テ半コヲ山ノ賊塁ヲ拔ク是ニ由テ吉次峠ノ賊遂ニ守ルヿ能ハスシテ潰奔ス我軍一ハ賊北ルヲ追木留ヲ衝キ一ハ行賊營ヲ焼テ三ノ嶺ノ頂上ニ坂上リ賊第一第二ノ峯ヲ…

討薩戰誌 2

二十八日ヨリ三日二日迠休戰 【2月28日から3月2日には玉名市・玉東町では大きな戦いはなかった。】 三日黎明陸軍少將野津鎭雄三大隊ノ兵ヲ卒ヒ植木口ニ向ヒ陸軍大佐野津道貫二大隊ヲ卒ヒ吉次嶺ノ賊ニ向フ植木口ノ賊ハ砲臺ヲ稻佐ノ岡上ニ設ケ我軍ノ前面ヲ禦キ…

討薩戰誌 1

【表紙には戰誌とあるが、ここでは戰記となっている。】 討薩戰記 二月二十二日福岡ノ臺兵一大隊髙瀬口ヨリ進テ植木ニ至ル賊兵亦来テ之ヲ迎ヱ両軍大ニ向坂ニ戦フ我兵遂ニ利アラス植木ノ糧倉ヲ焼キ退テ木ノ葉ヲ守ル 【鹿児島市にある陸軍砲兵属廠が私学校徒に…

「籠城日誌 討薩戰誌 全」4

四月四日 曇天此夜暗シ時已ニ九時頃ニ至リ人ヲ出シテ高瀬旅團ニ使セシム又能ハズシテ歸ル 【「熊本鎭臺戰鬪日記」によると、この日「士卒九名ヲ出シ坪井草塲町ノ學校ヲ火シテ其近傍ヲ偵察セシカ賊兵凡ソ十名草塲町北方ノ砲臺ヨリ遽カニ發射シ爲メニ兵卒一人…

「籠城日誌 討薩戰誌 全」3

【上図は「新編西南戦史」の付図(2月27日の官軍出撃戦闘要図)である。横向きを修正できないまま掲載する。白川西岸の千草学校を二手に分かれて進行して攻撃したとしている。北側からの一手は観音坂を通った筈だから図中の内坪井町という字の北側の東西道路…

「籠城日誌 討薩戰誌 全」1・2

手元にある西南戦争に関する写本を何回かに分けて紹介します。和紙に木版画の方法で青い罫線を入れたものです。各頁の写真を付けておきます。本文は毛筆で書いているようです。二つに折った紙を綴じた袋綴じという冊子で、表紙から裏表紙まで数えて全部で52…

次回予告「討薩戰誌 籠城日誌 全」

西南戦争に関する肉筆写本です。何回かに分けて紹介しようと準備中ですので、しばらくお待ちください。目新しい内容はあまりないのですが、当時の史料であり捨てておくのももったいないと思います。

「小隊教練書」と今井信郎

何年か前、幕末の兵学書「小隊教練書」(元治元年八月:1864年9月)を買い求めたところ、それは表紙に今井信郎と大きく毛筆で記した文字が消えかかっている本でした。以下、今井についてウィキペデイアから引用します。 「今井は江戸に育ち、安政5年(1858年…