西南戦争之記録

これは高橋信武が書いています。

2021-05-01から1ヶ月間の記事一覧

第七聯隊第一大隊西南戦記綴(6月)

六月一日天晴ル大哨兵第二中隊第三中隊ヲシテ交代ナサシメ第一中隊第 四中隊ヲシテ援隊タラシム 六月二日天晴大哨兵第一中隊第四中隊ヲシテ交代ナサシメ第二中隊第三 中隊ヲシテ援隊タラシム先キニ在東京将校ヨリ慰労ト乄送ラルヽ處ノ酒 肴ヲ分チ各中隊ニ配…

第七聯隊第一大隊西南戦記綴(5月)

(戦記は5月4日から月日を本文の頭に書くように変更になっており、転写の間違いではありません。少しずつ説明を加えていきます。印刷の場合、印刷してしまえば補正できないが、この場合は何度でも訂正・追加できるのがいい、という考えでやっています。) 五…

レーム水白粉

字ばかり見てると眼に悪いので、ガラス瓶を公開します。おしろいの箱です。きれいな箱なので買っておいたものです。封が上下にあって未開封です。折角だからこのままにしています。 「ひとめぼれレトロ日記」というブログを見たら、これについて詳しく書いて…

歩兵第七聯隊第一大隊西南戦記綴(4月)

四月一日 晴ル午前第四時四十五分賊徒襲来ノ報アリ第三中隊及ヒ第四中隊ノ右小隊ヲ應援トシテ第一中隊ノ哨所善同寺ニ向ハシム中通ト云ヨリ二手ニ分レ進ミ一ハ古保里村ニ出テ一ハ直ニ善同寺ニ出ツ賊ハ第一中隊ノ左方第二大隊ノ哨所ヲ襲フ擊テ之ヲ却ク数賊ヲ斃…

歩兵第七聯隊第一大隊西南戦記綴(3月)

はじめに アジ歴にある史料を読んでみようと思う。活字化されてない史料だがペン書きの読みやすい字で書かれている。これは石川県金沢市の金沢城内にあった名古屋鎮台金沢営所の部隊の西南戦争時の戦記である。名古屋鎮台は名古屋に第六聯隊、金沢に第七聯隊…

次回からは名古屋鎮台のある大隊の戦闘日記を読み進めます。

次回から数回に分けて、アジ歴にあるC13080000200「歩兵第七聯隊第一大隊 西南戦記綴」を読んでみます。原文はインクで書かれた読みやすい記録なので、ほとんど原文は貼り付けずに活字化していこうと思います。先回りして読んでもらっても構いません。

野村忍介の和歌「命ならて外に・・」

野村忍介の掛け軸を紹介する。軸装の結果、表面に現れた本紙の大きさは縦149.7㎝、横62.3㎝である。 南洲翁を手向奉流歌 命ならて外爾手向む物无那し袖者なミた能時雨のミして 忍 (南洲翁を手向け奉る歌 命ならで 外に手向けん 物もなし 袖は涙の 時雨のみ…

私学校の石垣は移動しているのを知っていますか?

下段に載せたのは鹿児島市にある私学校跡東南部から鶴丸城跡(今の黎明館)にかけての石垣が写った作製年不明のハガキです。現状の私学校跡石垣は1955年(昭和30年)に国道10号が拡幅された際に西側に13m移設されたとの事。何年か前に地元の前迫亮一さんに教…

慰労金証書

これは西南戦争に従軍応募し無事生還した人に慰労金を与えるとの証書である。縦21.4㎝・横27.9㎝の和紙に木版印刷されたもので、個人情報と月日は毛筆で追記している。 本文は次の通り。 元二等巡査心得 福 島 縣 關根多利五郎 曩ニ西南騒擾ノ際ニ方リ能ク報…

野村忍介自叙傳写本について

「西南戦争之記録」第2号に全文を活字化していることを広告しときます。同書を読まない人は知らないようだから。2003年です。※何かここを「つぶやき」のように使っている気がする。そういえば以前、表作成に便利なエクセルでポスター画像を作ったことがあっ…

篠原国幹の短冊

篠原国幹の短冊を紹介する。 篠原は西南戦争の薩軍では桐野利秋と共に西郷に次ぐ立場であったが、開戦初期3月4日に熊本県玉名郡玉東町吉次峠の傍で戦死した。「薩南血涙史」からその状況を引用する。 薩の亞將篠原國幹、村田新八相謀りて曰く「須らく左右兩…

野村忍介の短冊

いくつかの短冊や掛け軸、剥がしたものを紹介していこうと思う、何回かに分けて。読めない字があったので、またしても大津祐司さんのお世話になったことをまとめて付記しておきたい。 今回は野村忍介の短冊である。 西南戦争後、懲役10年の刑を受けた野村は…