西南戦争之記録

これは高橋信武が書いています。

2021-04-01から1ヶ月間の記事一覧

山田顕義の西南戦争中のある漢詩

はじめに 別働第二旅団司令長官山田顕義少将の西南戦争中の漢詩を紹介したい。 これは軸あるいは額から剥がしたのか裏に和紙が貼りついた状態である。本紙の大きさは縦114㎝、横63.5㎝で、朱印が三ヶ所にある。印影の大きさは上右のが縦3.9㎝・横2.1㎝、左下…

高原町から見た高千穂峰と新燃岳

数年前、噴火していた際、写真を撮って繋いで見ました。左が高千穂峰(1574m. 坂本龍馬夫妻が新婚旅行で登った山)、その右が新燃岳。

次の投稿までの隙間に飛行機の写真を 1

山梨県出身土橋健治郎の西南戦争従軍日記

西南戦争の従軍日記を入手したので紹介したい。官軍側の兵士だった人の物である。表紙には「明治拾八年 量水掛付上申及其他事實控・・・・」とあり、後半は手擦れで消えており読めない。表紙はやや厚く、本文は赤い線の罫紙を半分に折り、綴じた体裁である。…

赤松越を本道とする布告

古代の駅路以来、豊後と日向の行き来は梓山を通っていたが、1873年(明治6年)に少し東側の赤松峠を通るように変更された。その布告を紹介する。 梓山は大分県佐伯市宇目と宮崎県延岡市北川町の境界に東西方向に横たわる山脈の中央部にあり、標高は725mであ…

野村忍介宛の桐野利秋書状

最近、西南戦争中に桐野利秋が野村忍介に出したという書状を入手したので紹介する。 書状の内容 軸装され桐箱に入れられ長年経過した書状である。箱の長軸側面には古びた紙に部號:空白、筆者:桐野利秋、書畫題:書簡、と黒インクで書かれている。書状は薄…

甲突川右岸丘陵の戦場

下流に向かって右手を右岸という。鹿児島市内の城山の西側山裾を北西側から流れ下って、南東側の鹿児島湾に注ぐのが甲突川である。この川の右岸には幅1㎞前後の平地を隔てて標高100m前後のシラス台地が分布している。この右岸台地の西南戦争の戦場についてあ…

南北戦争の軍艦

南北戦争の軍艦を想定して造った焼き物です。塗装はアクリル。表面の穴は着弾痕です。 軍装資料集「新訂 征西戦記考ー西南戦役・官軍陸戦史ー軍装図解編】」には比ぶべくもないペイントで描いた未熟な漫画です。

御領式土器

これの本物は縄文時代後期の九州地方の土器です。約3、500年前。但し四、五年前, 陶芸教室で習っていた時に作った作品です。

焼き物作品2

稜堡を造ったけど世の中が平和になったので、日本風の城郭建築を追加したらしい。 下は目指したのはもっと渋い色だったらしいけど失敗作の城館。

焼き物作品1

今はやってませんが、数年間陶芸を習っていました。 右から九州の縄文土器(約3,000+α年前)2点・中世の備前焼2点。焼く前の段階です。 熊本城飯田丸で出土した焼き物爆弾かなというのを複製してみました(二番目の写真)。出土品の図面を添付したいのです…